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 或る冬の朝のことであった。
 重い鉄材とセメントのブロックである警視庁の建物は、昨夜来の寒波(かんぱ)のためにすっかり冷え切っていて、早登庁(はやとうちょう)の課員の靴の裏にうってつけてある鋲(びょう)が床にぴったり凍(こお)りついてしまって、無理に放せば氷を踏んだときのようにジワリと音がするのであった。朝日は、今ようやく向いの建物の頭を掠(かす)めて、低いそしてほの温い日ざしを、南向きの厚い硝子(ガラス)の入った窓越しにこの部屋へ注入して来た。
 そのとき出入口の重い扉がぎいと内側に開いて、肥(こ)えた赭(あか)ら顔の紳士が、折鞄を片手にぶら下げて入って来た。
 課員たちは一せいに立上って、その紳士に向って朝の挨拶(あいさつ)をのべた。みんなの口から一せいに白い息がはきだされて、部屋の方々に小さな虹(にじ)が懸った。紳士は一番奥まで行って、まだ誰も座っていない一番大きな机の上に鞄をぽんと投げ出し、それから後を向いて帽子掛に、鼠色の中折帽子をかけ、それから頸(くび)から白いマフラーをとってから、最後に鼠色(ねずみいろ)の厚いオーバァを脱いで引懸けた。それから身体をひねって、大机にくっついている回転椅子をすこし後にずらせて、その上に大きな尻を落着かせたのであった。かくして警視田鍋良平(たなべりょうへい)氏は、例日の如くちゃんと課長席におさまったのである。
 少女の給仕が、縁(ふち)のかけた大湯呑(おおゆのみ)に、げんのしょうこを煎(せん)じた代用茶を入れてほのぼのと湯気だったのを盆にのせ、それを目よりも上に高く捧げて持って来た。課長は彼女がその湯呑を、いつもと同じに、硯箱(すずりばこ)と未決(みけつ)既決(きけつ)の書類函(ばこ)との中間に置き終るまで、じっと見つめていた。
 少女の給仕が、振分け髪の先っぽに、猫じゃらしのように結んだ赤いリボンをゆらゆらふりながら、戸口近い彼女の席の方へ帰って行くのを見送っていた田鍋課長は、突然竹法螺(たけほら)のような声を放って、誰にいうともなく、
「あーア、昨夜から、何か変ったことはなかったかア」
 と、顔を正面に切っていった。そして手を延ばして大湯呑をつかむと、湯気のたつやつを唇へ持っていった。破(やぶ)れ障子(しょうじ)に強い風が当ったような音をたてて彼は極(ご)く熱(あ)つのげんのしょうこを啜(すす)った。近来手強(てごわ)い事件がないせいか、どうも腸の工合がよろしくない。


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